シュリー翼の「アルテミス」像

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※画像の左下にある「引用元」のリンクから元のファイルをご覧になることができます。

誰も見ていない時、実は歩いていたりするんじゃないかと思えてくる古代の彫像。シュリー翼348展示室の「狩りの女神」像を掲載。

『ヴェルサイユのディアナ』 125年-150年頃 ルーヴル美術館蔵
『ヴェルサイユのディアナ』 125年-150年頃 ルーヴル美術館蔵
目次

シュリー翼348展示室『ヴェルサイユのディアナ』他

※貸し出し中、修復中などで展示されていない場合もあります。美術館のサイトをご確認ください。

『ヴェルサイユのディアナ』 125年-150年頃 ルーヴル美術館蔵
『ヴェルサイユのディアナ』 125年-150年頃 ルーヴル美術館蔵

引用元:『ヴェルサイユのディアナ』 Flickr images reviewed by FlickreviewR 2 TimeTravelRome CC-BY-2.0

348展示室の旧ボルケーゼ・コレクション

『ヴェルサイユのディアナ』 帝政ローマ時代

シュリー翼348展示室Diane de Versailles, (Ma 589)

『ヴェルサイユのアルテミス』 帝政ローマ時代
『ヴェルサイユのディアナ』 帝政ローマ時代(125年-150年頃?)

引用元:『ヴェルサイユのディアナ』 Shonagon

書籍によっては『ヴェルサイユのアルテミス』になっているかもしれません。

ギリシャ神話のアルテミスと同一視される、ローマ神話の女神ディアナ。

教皇パウルス4世が1556年にフランス王アンリ2世に贈った像です。

アンリ2世の愛人はディアーヌ・ド・ポワチエという女性で、その名前「Diane」にかけていたと思われます。

フォンテーヌブロー城に飾られていた女神像は、ルーヴル宮殿へ移設されました。

その後太陽王ルイ14世がヴェルサイユ宮殿の鏡の間に設置したことから、「ヴェルサイユのディアナ」と呼ばれます。

シュリー翼603展示室でブロンズ製の『ヴェルサイユのディアナ』が見られます。

『狩りのディアナ』 青銅製 17世紀
『狩りのディアナ』 青銅製 17世紀

引用元:『狩りのディアナ』 Nathanael Burton Flickr images reviewed by FlickreviewR CC-BY-SA-2.0

シュリー翼603展示室Statuette : Diane chasseresse, (OA 5084)

廃墟や古代の遺跡の絵で有名な画家、ユベール・ロベール( Hubert Robert, 1733 ‐ 1808)による作品でも、『ヴェルサイユのディアナ』像を見ることができます。

La Salle des Saisons au Louvre, en 1802-1803 1802年ー1803年 ユベール・ロベール ルーヴル美術館蔵
La Salle des Saisons au Louvre, en 1802-1803 1802年ー1803年 ユベール・ロベール ルーヴル美術館蔵

引用元:La Salle des Saisons au Louvre, en 1802-1803 Tangopaso

シュリー翼930展示室La Salle des Saisons au Louvre, en 1802-1803

1802年ー1803年頃のルーヴル美術館内( The Salle des Saisons( = Room of the Seasons ))の様子です。

ヴィジェ=ルブランが描いたロベールの肖像画はこちらをご覧ください。

エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン『自画像』(1786年)他

『アルテミス像』 帝政ローマ時代

シュリー翼348展示室statue, (Ma 559.1)

『アルテミス像』 帝政ローマ時代(100年-200年頃)
『アルテミス像』 帝政ローマ時代(100年-200年頃)

引用元:『アルテミス像』 Jastrow (2007)

ルーヴル美術館の解説欄に「ファルネーゼ・コレクション」と記載されています。

また、この画像ファイルの解説欄には以下のようにありました。

English: Artemis of the Rospigliosi type. Marble, Roman copy of the 1st–2nd centuries CE after a Hellenistic original, maybe the bronze group mentioned by Pausanias (I, 25, 2), which represented a gigantomachia.

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Artemis_Rospigliosi_Louvre_Ma559_n2.jpg?uselang=ja

(Google翻訳:ロスピリオージ型のアルテミス。大理石、ヘレニズム時代のオリジナルの後の西暦 1 ~ 2 世紀のローマ時代のコピー。おそらくパウサニアス (I, 25, 2) が言及した、ギガントマキアを表す青銅のグループ。)

どこかでこの像は「ボルケーゼ・コレクション」と聞いたことがあり、「あれ、思い違い?」と少し調べてみました。

イタリアに、パラッツオ・パラヴィチーニ・ロスピリオージ( Palazzo Pallavicini Rospigliosi )という宮殿があります。

1605年、美術収集家で教皇の甥、シピオーネ・ボルケーゼ枢機卿の命令で宮殿の建設が始まりました。

1612年(1613年?)、枢機卿は画家グイド・レーニにフレスコ画の作品を注文。これがグイド・レーニの傑作『オーロラ』です。

Offizielle Seite des Casino Aurora サイト内の the Collection the Statues に、

コレクションの彫像「 Artemis the Huntress 」(狩りのディアナ)、「 The “Rospigliosi Athena” 」(ロスピリオージのアテナ)の紹介があります。

「ロスピリオージのアルテミス」との言葉は探せませんでしたが、これが「ロスピリオージのアルテミス」なのかな??

その後間もなく宮殿は売却され、1641年にマザラン枢機卿が購入しています。

フランス大使館としても使われたこともあり、1704年パラヴィチーニ・ロスピリオージ家の所有となりました。(参考:Palazzo Pallavicini Rospigliosi(Wikipedia(独)

Wikipedia(英) に「ファルネーゼ」の名前も見えますが、このアルテミス像がいつから誰の所有か、などが今ひとつわかりませんでした。資料等見つかったらこちらに追記します。

『アルテミス像』 帝政ローマ時代

シュリー翼348展示室statue, (Ma 3435)

『アルテミス像』 帝政ローマ時代(100年-200年頃)
『アルテミス像』 帝政ローマ時代(100年-200年頃)

引用元:『アルテミス像』 Flickr images reviewed by File Upload Bot (Magnus Manske) Carole Raddato CC-BY-SA-2.0

こちらも狩猟の女神アルテミス像。

キトンをたくし上げ、走り易いようにしています。

キトンの上のヒマティオン(上着、マント)は、左肩は厚い折り目になって腰に巻き付けられています。

 「 The lowered left hand may have held a bow; the right arm was raised. 」(参考:File:Artemis the huntress (Diana) of the “Seville-Palatine” type Roman, Imperial (1st–2nd century AD), discovered in Greece, Louvre Museum (7462710134).jpg) 「下げた左手は弓を持っていたかもしれない。右腕が上がった。」(Google翻訳)とありますが、下がっている右手で矢を持ち(つがえ)、上がり気味の左手で弓を持っていたのかな? と勝手に想像。

この像はアテネ?で発見され、オリジナルは紀元前200年頃のもの?とのこと。

Théophile Homolle 氏(1845 – 1925)のコレクションで、ルーヴル美術館入りは1929年。

『三美神』レリーフ 帝政ローマ時代

シュリー翼348展示室relief, (Ma 9)

『三美神』レリーフ 帝政ローマ時代(100-200年頃)
『三美神』レリーフ 帝政ローマ時代(100年-200年頃)

引用元:『三美神』レリーフ Tangopaso

1878年の寄贈で、元は Aimé Charles His de la Salle 氏(1795 – 1878)のコレクション。

同じ348展示室には、ボルケーゼ侯爵のコレクションの『三美神』像( Les trois Grâces , (Ma 287) もあります。

『三美神』 ローマ帝国時代(100年-200年頃?)
『三美神』 ローマ帝国時代(100年-200年頃?)

引用元:『三美神』 Sailko CC-BY-SA-3.0

ボルケーゼ・コレクションの有名古代彫像(ルーヴル美術館シュリー翼)

『ガチョウと遊ぶ子供』 帝政ローマ時代

シュリー翼348展示室Enfant à l’oie, (Ma 40)

『ガチョウと遊ぶ子供』 帝政ローマ時代(100年-200年頃)

引用元:『ガチョウと遊ぶ子供』 Jastrow (2006)

1792年にアッピアのクィンテリ邸で発見。教皇ピウス6世のコレクションでした。

紀元前2世紀頃のギリシャの彫刻家、Boethos of Chalcedon の作品で、出生地 Chalcedon (カルケドン)はアナトリア半島北西部に位置した古代都市。

同じ構図の彫刻がバチカン美術館などに展示されています。

『休息するサテュロス』 帝政ローマ時代

シュリー翼348展示室Satyre au repos, (Ma 664)

『休息するサテュロス』( statue ; Satyre au repos ) 身長107cm 幅64cm 奥行き32cm ローマ帝国時代(プラクシテレスのオリジナルは紀元前330年頃) ルーヴル美術館蔵
『休息するサテュロス』 帝政ローマ時代(80年頃)

引用元:『休息するサテュロス』 Baldiri

1864年にローマのパラティーノの丘、皇帝の宮殿から出土。元の所有者はナポレオン3世でした。

傍らの木に体をもたせかけて片足で立つ、プラクシテレス原作の若きサテュロスです。

サン・バルテルミの虐殺事件の舞台

1572年、カトリック教徒によって多くのユグノー(プロテスタント)が虐殺されるという事件が起きました。

当時、ルーヴルは美術館ではなく「ルーヴル宮殿」でした。

この348展示室は、サン・バルテルミの虐殺事件の舞台になった場所とのこと。

『マンガでわかる ルーヴル美術館の見かた』(誠文堂新光社)の「Column 6」、『眠れるヘルマフロディトゥス』像の紹介と一緒に書かれています。

血生臭い歴史ではありますが、予め知ってから訪れると、その場に漂う空気まで違うように感じられますよね。

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