誰も見ていない時、実は歩いていたりするんじゃないかと思えてくる古代の彫像。シュリー翼348展示室の「狩りの女神」像を掲載。
シュリー翼348展示室『ヴェルサイユのディアナ』他
※貸し出し中、修復中などで展示されていない場合もあります。美術館のサイトをご確認ください。
引用元:『ヴェルサイユのディアナ』 Flickr images reviewed by FlickreviewR 2 TimeTravelRome CC-BY-2.0
348展示室の旧ボルケーゼ・コレクション
『ヴェルサイユのディアナ』 帝政ローマ時代
シュリー翼348展示室 , MR 152 ; N 1157 ; Ma 589 Diane de Versailles
書籍によっては『ヴェルサイユのアルテミス』になっているかもしれません。
ギリシャ神話のアルテミスと同一視される、ローマ神話の女神ディアナ。
教皇パウルス4世が1556年にフランス王アンリ2世に贈った像です。
アンリ2世の愛人はディアーヌ・ド・ポワチエという女性で、その名前「Diane」にかけていたと思われます。
フォンテーヌブロー城に飾られていた女神像は、ルーヴル宮殿へ移設されました。
その後太陽王ルイ14世がヴェルサイユ宮殿の鏡の間に設置したことから、「ヴェルサイユのディアナ」と呼ばれます。
関連記事 愛妾ディアーヌ・ド・ポワチエの姿『狩りの女神ディアナ』(フォンテーヌブロー派)
シュリー翼603展示室ではブロンズ製の『ヴェルサイユのディアナ』が見られます。
引用元:『狩りのディアナ』 Nathanael Burton Flickr images reviewed by FlickreviewR CC-BY-SA-2.0
シュリー翼603展示室 , OA 5084 Statuette : Diane chasseresse
廃墟や古代の遺跡の絵で有名な画家、ユベール・ロベール( Hubert Robert, 1733 ‐ 1808)による作品でも、『ヴェルサイユのディアナ』像を見ることができます。
引用元:La Salle des Saisons au Louvre, en 1802-1803 Tangopaso
シュリー翼930展示室 , RF 1964 35 La Salle des Saisons au Louvre, en 1802-1803
1802年ー1803年頃のルーヴル美術館内( The Salle des Saisons( = Room of the Seasons ))の様子です。
ヴィジェ=ルブランが描いたロベールの肖像画を掲載 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン『自画像』(1786年)他
『アルテミス像』 帝政ローマ時代
シュリー翼348展示室 , MR 156 ; N 1095 ; Ma 559.1 statue
ルーヴル美術館の解説欄に「ファルネーゼ・コレクション」と記載されています。
また、この画像ファイルの解説欄には以下のようにありました。
English: Artemis of the Rospigliosi type. Marble, Roman copy of the 1st–2nd centuries CE after a Hellenistic original, maybe the bronze group mentioned by Pausanias (I, 25, 2), which represented a gigantomachia.
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Artemis_Rospigliosi_Louvre_Ma559_n2.jpg?uselang=ja
(Google翻訳:ロスピリオージ型のアルテミス。大理石、ヘレニズム時代のオリジナルの後の西暦 1 ~ 2 世紀のローマ時代のコピー。おそらくパウサニアス (I, 25, 2) が言及した、ギガントマキアを表す青銅のグループ。)
どこかでこの像は「ボルケーゼ・コレクション」と聞いたことがあり、「あれ、思い違い?」と少し調べてみました。
イタリアに、パラッツオ・パラヴィチーニ・ロスピリオージ( Palazzo Pallavicini Rospigliosi )という宮殿があります。
1605年、美術収集家で教皇の甥、シピオーネ・ボルケーゼ枢機卿の命令で宮殿の建設が始まりました。
1612年(1613年?)、枢機卿は画家グイド・レーニにフレスコ画の作品を注文。これがグイド・レーニの傑作『オーロラ』です。
Offizielle Seite des Casino Aurora サイト内の the Collection
the Statues に、コレクションの彫像「 Artemis the Huntress 」(狩りのディアナ)、「 The “Rospigliosi Athena” 」(ロスピリオージのアテナ)の紹介があります。
「ロスピリオージのアルテミス」との言葉は探せませんでしたが、これが「ロスピリオージのアルテミス」なのかな??
その後間もなく宮殿は売却され、1641年にマザラン枢機卿が購入しています。
フランス大使館としても使われたこともあり、1704年パラヴィチーニ・ロスピリオージ家の所有となりました。(参考:Palazzo Pallavicini Rospigliosi(Wikipedia(独))
Wikipedia(英) に「ファルネーゼ」の名前も見えますが、このアルテミス像がいつから誰の所有か、などが今ひとつわかりませんでした。資料等見つかったらこちらに追記します。
『アルテミス像』 帝政ローマ時代
シュリー翼348展示室 , MND 1560 ; Ma 3435 statue
引用元:『アルテミス像』 Flickr images reviewed by File Upload Bot (Magnus Manske) Carole Raddato CC-BY-SA-2.0
こちらも狩猟の女神アルテミス像。
キトンをたくし上げ、走り易いようにしています。
キトンの上のヒマティオン(上着、マント)は、左肩は厚い折り目になって腰に巻き付けられています。
「 The lowered left hand may have held a bow; the right arm was raised. 」(参考:File:Artemis the huntress (Diana) of the “Seville-Palatine” type Roman, Imperial (1st–2nd century AD), discovered in Greece, Louvre Museum (7462710134).jpg) 「下げた左手は弓を持っていたかもしれない。右腕が上がった。」(Google翻訳)とありますが、下がっている右手で矢を持ち(つがえ)、上がり気味の左手で弓を持っていたのかな? と勝手に想像。
この像はアテネ?で発見され、オリジナルは紀元前200年頃のもの?とのこと。
Théophile Homolle 氏(1845 – 1925)のコレクションで、ルーヴル美術館入りは1929年。
『三美神』レリーフ 帝政ローマ時代
シュリー翼348展示室 , MNB 3227 ; Ma 9 relief
1878年の寄贈で、元は Aimé Charles His de la Salle 氏(1795 – 1878)のコレクション。
同じ348展示室には、ボルケーゼ侯爵のコレクションの『三美神』像( Les trois Grâces , (Ma 287) もあります。
引用元:『三美神』 Sailko CC-BY-SA-3.0
関連記事 ボルケーゼ・コレクションの有名古代彫像(ルーヴル美術館シュリー翼)
『ガチョウと遊ぶ子供』 帝政ローマ時代
シュリー翼348展示室 , MR 168 ; N 223 ; Ma 40 Enfant à l’oie
引用元:『ガチョウと遊ぶ子供』 Jastrow (2006)
1792年にアッピアのクィンテリ邸で発見。教皇ピウス6世のコレクションでした。
紀元前2世紀頃のギリシャの彫刻家、Boethos of Chalcedon の作品で、出生地 Chalcedon (カルケドン)はアナトリア半島北西部に位置した古代都市。
同じ構図の彫刻がバチカン美術館などに展示されています。
『休息するサテュロス』 帝政ローマ時代
シュリー翼348展示室 , NIII 2660 ; Ma 664 Satyre au repos
引用元:『休息するサテュロス』 Baldiri
1864年にローマのパラティーノの丘、皇帝の宮殿から出土。元の所有者はナポレオン3世でした。
傍らの木に体をもたせかけて片足で立つ、プラクシテレス原作の若きサテュロスです。
サン・バルテルミの虐殺事件の舞台
1572年、カトリック教徒によって多くのユグノー(プロテスタント)が虐殺されるという事件が起きました。
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当時、ルーヴルは美術館ではなく「ルーヴル宮殿」でした。
この348展示室は、サン・バルテルミの虐殺事件の舞台になった場所とのこと。
『マンガでわかる ルーヴル美術館の見かた』(誠文堂新光社)の「Column 6」、『眠れるヘルマフロディトゥス』像の紹介と一緒に書かれています。
血生臭い歴史ではありますが、予め知ってから訪れると、その場に漂う空気まで違うように感じられますよね。