エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン『自画像』(1786年)他

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ヴィジェ=ルブランによるシュリー翼933展示室の作品他、ドゥノン翼の自画像、ポリニャック夫人の次男の肖像、同時代のパジュー作の胸像も掲載しました。

娘ジュリーとの自画像 1786年 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン ルーヴル美術館蔵
娘ジュリーとの自画像 1786年 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン
目次

エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランの作品(シュリー翼)

※貸し出し中、修復中などで展示されていない場合もあります。美術館のサイトをご確認ください。

『娘ジュリーとの自画像』 1786年

シュリー翼933展示室Madame Vigée-Le Brun et sa fille, Jeanne-Lucie-Louise, dite Julie (1780-1819)

娘ジュリーとの自画像 1786年 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン ルーヴル美術館蔵
娘ジュリーとの自画像 1786年 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン

引用元:娘ジュリーとの自画像

美貌に恵まれた画家、エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン( Marie Élisabeth-Louise Vigée Le Brun, 1755年4月16日 – 1842年3月30日)の自画像です。

美人ですね。

ルイ16世妃マリー・アントワネットに気に入られたヴィジェ=ルブランは王妃の肖像画家となり、王侯貴族たちからも多くの肖像画の注文が舞い込みます。

人気画家として忙しい日々のなか、1780年2月12日、ヴィジェ=ルブランは娘ジュリーを出産しました。

関連記事ヴィジェ=ルブランによる1778年のマリー・アントワネットの肖像画

『豊穣を連れた平和』 1780年

シュリー翼933展示室La Paix ramenant l’Abondance

『豊穣を連れた平和』( La Paix ramenant l’Abondance ) 1780年 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン ルーヴル美術館蔵
『豊穣を連れた平和』 1780年 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン

引用元:『豊穣を連れた平和』 Europeana

歴史画家として認められることを望んでいたヴィジェ=ルブラン。

王室の後援もあり、1783年3月31日、女性画家ギアールとともに念願の王立絵画彫刻アカデミーの会員となります。

1783年、寓意画『豊穣を連れた平和』を王立絵画彫刻アカデミーに寄贈。

月桂樹の冠を着けた平和が豊穣の肩を抱き、手を取って導いています。

『イタリア喜劇女優 モーレ=レイモン夫人』 1786年

シュリー翼933展示室Madame Molé-Reymond, de la Comédie italienne (1759-1833)

『イタリア喜劇女優モーレ=レイモン夫人』 1786年 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン
『イタリア喜劇女優モーレ=レイモン夫人』 1786年 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン

引用元:『『イタリア喜劇女優モーレ=レイモン夫人』 Sammyday (2010-10-23)

マフでかっ。

本作はモデルの娘さんからの寄贈だそうです。

こちらも参考にしました

『ルソー夫人と娘』 1789年

シュリー翼933展示室Madame Rousseau, femme de l’architecte Pierre Rousseau, et sa fille

『建築家ピエール・ルソー夫人と娘』( Madame Rousseau, femme de l'architecte Pierre Rousseau, et sa fille ) 1789年 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン ルーヴル美術館蔵
『ルソー夫人と娘』 1789年 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン

引用元:『ルソー夫人と娘』 Sammyday (2010-10-23)

建築家ピエール・ルソー( Pierre Rousseau, 1751-1829 )の夫人と娘です。

『エカチェリーナ・ヴァシリエヴナ・スカヴロンスキー伯爵夫人の肖像』 1796年

シュリー翼933展示室La Comtesse Catherine Vassilievna Skavronskaia (1761-1829)

『エカチェリーナ・ヴァシリエヴナ・スカヴロンスキー伯爵夫人の肖像』 1796年 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン
『エカチェリーナ・ヴァシリエヴナ・スカヴロンスキー伯爵夫人の肖像』 1796年 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン

引用元:『エカチェリーナ・ヴァシリエヴナ・スカヴロンスキー伯爵夫人の肖像』 Sammyday

イェカテリーナ・フォン・エンゲルハルト( Yekaterina von Engelhardt )はロシアの軍人グリゴリー・ポチョムキンの姪であり、エカチェリーナ2世の侍女であり、1781年に結婚したスカヴロンスキー伯爵の未亡人。

1798年にジュリオ・レナート・リッタ・ヴィスコンティ・アレーゼ伯爵(1763-1839)と再婚し、リッタ伯爵夫人となります。

ヴィジェ=ルブランは1790年にもこのエカチェリーナの肖像画を描いています(パリのジャックマール=アンドレ美術館の収蔵品)。

『画家ユベール・ロベール』 1788年

シュリー翼932展示室Hubert Robert (1733-1808), peintre

『画家ユベール・ロベール』 1788年 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン
『画家ユベール・ロベール』 1788年 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン

引用元:ユベール・ロベール

フランスの画家 ユベール・ロベール( Hubert Robert, 1733年5月22日 – 1808年4月15日)。

古代の建築物や廃墟、架空の遺跡を好んで描いたことから「廃墟の画家ユベール」などとも呼ばれます。

友人フラゴナールが描いたユベールの肖像画も掲載フラゴナール 『ベッドで犬と遊ぶ少女(ラ・ジャンブレット)』『かんぬき』

『画家クロード・ジョセフ・ヴェルネ』 1788年

ランス別館Joseph Vernet (1714-1789), peintre

『画家クロード・ジョセフ・ヴェルネ』 1788年 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン
『画家クロード・ジョセフ・ヴェルネ』 1788年 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン

引用元:クロード・ジョセフ・ヴェルネ Sammyday (2010-10-23)

フランスの画家 クロード・ジョゼフ・ヴェルネ( Claude Joseph Vernet, 1714年8月14日 – 1789年12月3日)。海を描いた絵で有名です。

フランス王ルイ15世からフランスの港を描いた絵画24枚を依頼され、ヴェルネは15枚を制作しています。

画家ドワイアンやグルーズら同様、ヴィジェ=ルブランに多くの助言を与えました。

ヴィジェ=ルブランの『少女の肖像』

リシュリュー翼805展示室Portrait de jeune fille MNR 713

ドゥノン翼702展示室

『娘ジュリーとヴィジェ=ルブラン夫人』 1789年頃

ドゥノン翼702展示室Madame Vigée-Le Brun et sa fille, Jeanne-Lucie-Louise, dite Julie (1780-1819)

『自画像』 1789年頃 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン
『娘ジュリーとヴィジェ=ルブラン夫人』 1789年頃 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン

引用元:『娘ジュリーとヴィジェ=ルブラン夫人』

古代風の衣装に身を包んだヴィジェ=ルブランと、娘ジュリー(ジャンヌ・リュシー・ルイーズ)。

グラフィックアーツ相談室

『オーギュスト=ジュール・アルマン・マリー・ド・ポリニャック(1780 – 1847)の肖像』 1793 – 1794年頃

Portrait d’Auguste-Jules Armand Marie de Polignac ( 1780-1847). (グラフィックアーツ相談室で予約して閲覧可)

『オーギュスト=ジュール・アルマン・マリー・ド・ポリニャック(1780-1847)の肖像』 1793-1794年頃 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン
『オーギュスト=ジュール・アルマン・マリー・ド・ポリニャック(1780-1847)の肖像』 1793 – 1794年頃 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン

引用元:Portrait d’Auguste-Jules Armand Marie de Polignac Sailko CC-BY-3.0

「ポリニャック」という名前で「!」と思ったあなた、『ベルばら』読んでますね?

そうです、この横顔の少年はマリー・アントワネットの寵臣ポリニャック夫人の次男です。

『モリス・ド・フリース伯爵の肖像』

Portrait du comte Moriz de Fries.(グラフィックアーツ相談室で予約して閲覧可)

Portrait du comte Moriz de Fries. エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン
『モリス・ド・フリース伯爵の肖像』 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン

引用元:Moritz von Fries

『オルレアン公ルイ・フィリップ1世の肖像』 1779年

Portrait du duc Louis-Philippe d’Orléans ( 1725-1785) surnommé le ” gros duc”.(グラフィックアーツ相談室で予約して閲覧可)

『オルレアン公ルイ・フィリップ1世の肖像』 1779年 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン
『オルレアン公ルイ・フィリップ1世の肖像』 1779年 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン

引用元:『オルレアン公ルイ・フィリップ1世の肖像』 Tangopaso

オルレアン公ルイ・フィリップ1世は、自分と、再婚した妻モンテッソン夫人の肖像画をヴィジェ=ルブランに依頼しています。

ルーヴル美術館の解説から一部引用します。

Père de Philippe-Egalité, le duc Louis-Philippe d’Orléans a souhaité obtenir de l’artiste son portrait ainsi que celui de son épouse morganatique, la marquise de Montesson (1737-1806). Grâce à un mémoire conservé à la fondation Custodia à Paris, nous savons que l’artiste a du exécuter deux portraits originaux et cinq copies, tant au pastel qu’à l’huile. Des deux portraits originaux peints en présence des modèles, il ne subsiste que le portrait du duc. Les deux pastels du Louvre sont assurément les répliques mentionnées par le mémoire.

https://collections.louvre.fr/ark:/53355/cl020599209

Google翻訳:フィリップ=エガリテの父であるオルレアン公ルイ=フィリップは、この芸術家から自分の肖像画と、貴婦人の妻であるモンテッソン侯爵夫人(1737-1806)の肖像画を入手したいと考えていました。パリのカストディア財団に保管されている記憶のおかげで、この芸術家がパステルと油彩でオリジナルの肖像画 2 枚とコピー 5 枚を制作したに違いないことがわかっています。モデルたちの前で描かれた2枚のオリジナルの肖像画のうち、公爵の肖像画だけが残っています。ルーヴル美術館にある 2 つのパステル画は確かに回想録で言及されているレプリカです。)

『モンテッソン侯爵夫人の肖像』 1779年

Portrait de la marquise de Montesson.(グラフィックアーツ相談室で予約して閲覧可)

『モンテッソン侯爵夫人の肖像』 1779年 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン
『モンテッソン侯爵夫人の肖像』 1779年 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン

引用元:『モンテッソン侯爵夫人の肖像』 WikiNazom CC-BY-SA-4.0

オルレアン公ルイ・フィリップ1世の二番目の妻、モンテッソン侯爵夫人( Marquise de Montesson, 1738年10月4日 – 1806年2月6日)。

本名シャルロット=ジャンヌ・ベロー・ド・ラ・エ・ド・リュウ( Charlotte-Jeanne Béraud de La Haye de Riou )。

10代で年齢の離れたモンテッソン侯爵と結婚し、モンテッソン侯爵夫人となりました。

夫が亡くなった後、その前から愛人関係だったオルレアン公と1773年に身分違いの結婚(貴賤結婚)をしています。

夫人は大の芝居好きで、演じるだけでなく自ら台本も書きました。

オーギュスタン・パジュー作「ヴィジェ=ルブランの胸像」 1785年

Madame Vigée Le Brun (1755-1842), peintre

ヴィジェ=ルブラン 1785年 パジュー作 ルーヴル美術館蔵
ヴィジェ=ルブランの胸像 1785年 オーギュスタン・パジュー作 ルーヴル美術館蔵

引用元:ヴィジェ=ルブランの胸像 Thomon CC-BY-SA-4.0

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