フランスの画家 マネも日本美術の熱心な愛好者でした。

『エミール・ゾラの肖像』( Emile Zola ) 1868年 エドゥアール・マネ オルセー美術館蔵

引用元:『エミール・ゾラの肖像』
マネを積極的に擁護した作家、エミール・ゾラ( Émile Zola, 1840年4月2日 – 1902年9月29日)を描いた作品です。
1866年にマネについて論評したゾラは、翌年、万国博覧会の傍らで開催されたマネ自身の個展のため、筆をとりました。
ゾラは、伝統の支持者から異論を唱えられるマネを、ルーヴル美術館に所蔵されるべき未来の巨匠の一人とみなしていました。1867年、この記事は、ここに掲載されている青い表紙の薄いパンフレットの形で出版され、テーブルの上の目立つ場所に飾られています。(Google翻訳)

引用元:『エミール・ゾラの肖像』 Sailko CC-BY-3.0
マネは感謝の気持ちとして、著者の肖像画を描くことを申し出ました。撮影は、ギュイヨー通りにあるマネのアトリエで行われました。この機会に、ゾラの個性、趣味、そして職業を象徴する要素を取り入れた環境が再現されました。壁にはマネの『オランピア』の複製画がかかっている。この絵画は1865年のサロンで大きな騒動を巻き起こしたが、ゾラはマネの最高傑作とみなしていた。その後ろにはベラスケスの『バッカス』を模した版画があり、画家と作家がスペイン美術を好んでいたことが分かる。このアンサンブルは、二代歌川国明によるレスラーを描いた日本の版画で完成する。西洋絵画における遠近法と色彩の概念に革命をもたらした極東が、この新しい絵画の出現に重要な役割を果たしている。構図の左側に置かれた日本の屏風がこの重要性を思い起こさせる。(Google翻訳)
壁には、バロックの巨匠ベラスケスの複製版画『バッカスの勝利(酔っ払いたち)』、マネの傑作『オランピア』、歌川国明(二世)の力士絵が掛けられています。

引用元:『エミール・ゾラの肖像』 Sailko CC-BY-3.0
『オランピア』の視線はオリジナル作品より、ゾラの方に向けられています。

引用元:『オランピア』

引用元:『エミール・ゾラの肖像』 Sailko CC-BY-3.0

引用元:阿州大鳴門灘右エ門
『休息』( Repose (Le Repos) ) 1871年 エドゥアール・マネ ロードアイランド・スクール・オブ・デザイン美術館蔵

引用元:『休息(ベルト・モリゾの肖像)』
Repose (Le Repos) ロードアイランド・スクール・オブ・デザイン美術館
画家 ベルト・モリゾの肖像です。
モリゾはマネの弟と1874年に結婚。 何度もマネの絵のモデルを務めています。
エドゥアール・マネは新たな絵画言語の開拓を先導した人物であり、「休息」は彼の急進的な作風の要素、すなわち明暗の支配的なコントラスト、幅広く触覚的な筆致、そして浅く圧縮された空間感覚を示している。画家ベルト・モリゾを描いたこの作品は、一部の鑑賞者に衝撃を与え、彼女の飾らないポーズ、気取らない服装、そしてモデルとしての適性について批判を浴びた。彼女の眼差しは空想を想起させ、頭上に描かれた日本の木版画に描かれた、龍に追われる真珠採りの騒々しい描写とは対照的である。マネは自身の絵画を、身体的および心理的な休息の研究であり、「肖像画の性質を全く持たない」と評した。(Google翻訳)
モリゾの頭上に掛けられているのは、歌川国芳の版画「龍宮玉取姫之図」。


Recovering the Stolen Jewel from the Palace of the Dragon King メトロポリタン美術館
暗い色調を背景に、ドレスの白が鮮やかに浮かびます。
物憂げなベルトの表情とは反対に、激しい動きの国芳の版画。 こちらも対照的ですね。
モリゾ自身も扇を持つ女性の絵を描いていますが、この絵のモリゾの扇子がどんな柄なのか、個人的に少々気になります…。
背景の屏風
『ナナ』( Nana )

引用元:『ナナ』
https://www.bildindex.de/document/obj00040319 Link zu dieser Seite:
衣装の白や青、お洒落な靴下、何よりも魅力的なヒロインの表情に目が行きますよね。
女性の名はナナ。
壁に飾られている和風の「タペストリー」には鶴が描かれており、鶴は隠語で「娼婦」を指すことから、彼女は高級娼婦を生業としていると思われます。 画面右には彼女の客と思しき男性が。
ゴッホの模写「花魁」にも鶴が描き込まれています
マネは、同名の女性が登場するゾラの小説からインスピレーションを得たといわれています。
コルセットの着装例
『団扇と婦人』( La Dame aux éventails )

引用元:Woman with Fans
39歳という若さで亡くなったニナ・ド・カリアス(1844年 – 1884年)の肖像。
ニナのサロンには マネや ステファヌ・マラルメらが出入りしていました。
ここでニナはアルジェリア風の衣裳を着け、「団扇を散らした琳派の屏風」(『もっと知りたい マネ 生涯と作品』)の前でポーズを取っています。
この肖像画が描かれた当時、ニーナは30歳にも満たない若さで、パリで最も華やかな文学・芸術サロンの一つを主催していた。彼女は客をもてなす際に好んで着ていた「アルジェリア風」の衣装を着てポーズをとっている。背景のタペストリーは、画家のアトリエの壁にあったものの一つである。オルセー美術館の「マラルメ」やハンブルク美術館の「ナナ」にも見られる。扇子の選択には、象徴的な意図はないようだ。マネはニナの周りに扇子をピンで留めることで、ほとんど陳腐化した設定を創り出そうとしているだけである。ホイッスラー、ティソ、ルノワールも既に同じ手法を用いていた。これらのオブジェはまた、モデルが暮らす小さな私邸に飾られた、日本の雑貨を想起させる。(Google翻訳)
本作の小道具に使われている「タペストリー」は、マネのアトリエにあったもので、『ナナ』『ステファヌ・マラルメの肖像』にも用いられています。
この絵を見て、「暑いときにぱたぱたと煽いで風を送る道具」である団扇も、飾り様によってはおっしゃれーですよね、と思ってしまった。
モネも作品のなかで背景に団扇を散らしてましたよね。
ステキな柄なら真似してみるのもアリかも。
『ステファヌ・マラルメの肖像』( Stéphane Mallarmé )

引用元:『ステファヌ・マラルメの肖像』
マネと親交があった詩人ステファヌ・マラルメの肖像です。
本作は、マラルメの長編詩『半獣神の午後』の出版を記念して描かれました。
後者はマネに自分のアトリエでポーズをとらせ、モデルにリラックスしたポーズを描かせるために小さなカンバスを選んだ。クッションに寄りかかり、片手をオーバーコートのポケットに突っ込んだ詩人は、紙束に寄りかかっている。おそらく、最近発表された論文か何かの文章を暗示しているのだろう。彼は大きな葉巻を一本吸っており、それが手に優雅な仕草を与えている。(Google翻訳)
『バルコニー』( Le balcon ) 1868年 – 1869年 エドゥアール・マネ オルセー美術館蔵

引用元:『バルコニー』
スペインの画家 フランシスコ・デ・ゴヤの作品から着想を得た『バルコニー』。
こちらの作品でもベルト・モリゾがモデルとして登場しています。
この作品に浮世絵は描かれていませんが、置かれた鉢植えの紫陽花になんとなく日本趣味を感じる…。
日本から友人のデュレが連れてきた犬の「タマ」が、ベルトの足元にいます。
ジャポニスムについても言及があります

浮世絵が西洋の画家たちに影響を与えたことを伝える文
A genre of art called ukiyo-e was especially influential during the Edo Period. Translated as “pictures of the floating world,” these woodblock prints featured beautiful women, kabuki actors, sumo wrestlers, and landscapes. Some prints could be called the prototypes of today’s manga. It is also well-known that ukiyo-e techniques influenced Western impressionist artists. Because ukiyo-e allowed mass production, the prints were available to ordinary people. When Japan began its rapid modernization at the end of the 19th century, the art of ukiyo-e rapidly declined.
江口裕之、ダニエル・ドゥ―マス. 2017-4-20. 『英語で語る 日本事情 2020』. the japan times. p.168.
浮世絵と呼ばれる様式は、特に江戸時代に大きな影響力を持っていました。「浮世を描いた絵」という意味の浮世絵は木版画で、主に、美女、歌舞伎役者、力士、風景などが好んで描かれました。なかには、現代のマンガの原型といえるものもあります。また、浮世絵の技法は、西洋の印象派の画家たちに影響を与えたこともよく知られています。浮世絵は大量生産が可能であったため、一般大衆でも手が届きました。19世紀末に日本が急激な近代化を迎える中で、浮世絵芸術は急激に衰えていきました。
江口裕之、ダニエル・ドゥ―マス. 2017-4-20. 『英語で語る 日本事情 2020』. the japan times. p.169.