寝転がって読書 歌麿の「理口者」(りこうもの)

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私の大好きな歌麿の、寝転がって書を楽しむ女性の絵です。

「教訓親の目鑑・理口者」 1802年 – 1803年頃 喜多川歌麿 ビルバオ美術館蔵
「教訓親の目鑑・理口者」 1802年 – 1803年頃 喜多川歌麿 ビルバオ美術館蔵
目次

喜多川 歌麿(きたがわ うたまろ、1753年(宝暦3年)? – 1806年10月31日(文化3年9月20日)

お行儀がよろしくない? いや、楽しそうだからいいじゃん、ですか?

日本が誇る、世界の歌麿による教訓絵(きょうくんえ)、「教訓親の目鑑」(きょうくん おやのかがみ)』から「理口者」です。

「教訓親の目鑑・理口者」

「教訓親の目鑑・理口者」 1802年 - 1803年頃 喜多川歌麿 ビルバオ美術館蔵
「教訓親の目鑑・理口者」 1802年 – 1803年頃 喜多川歌麿 ビルバオ美術館蔵

引用元:「教訓親の目鑑・理口者」

ビルバオ美術館La sabelotodo, c. 1802-1803

理口者、なんて読むの?と思ったあなた。そう、これ、「りこうもの」と読みます。

りこうもの、は、本来、「利口者」です。

享和3年(1803年)刊の教訓絵。「利口者」と書くべきところを「理口者」としているのは、理屈っぽくなりがちな女性の改めるべき注意点を含意した当て字と解釈されてもいる[1]。

wikipedia教訓絵

男女問わず必要以上に理屈っぽい人は現代でも嫌われると思いますが、当時の社会事情によっては、男性以上に理屈っぽい女性は煙たがられることもあったかもしれません。

歌麿は教訓絵で、女性が持つ(持ちそうな?)欠点を指摘、分析して、「本人ではなく親への教訓に結びつけている」といわれます。

親に対し、こんな娘に育ててはダメですよ、ということですね。

喜多川歌麿の「教訓親の目鑑(きょうくん おやのめかがみ)」シリーズの全10図は、欠点の多い女性を鋭く評価・分析して、本人ではなく親への教訓に結びつけている新しい視点を持った教訓絵であった。

教訓絵(Wikipedia)

確かに、こんな、寝転がりながら本を読むなんてお行儀が悪いですね。

でも、でもですよ? 顔の造作の綺麗さもありますが、なぜかとても魅力的に映りませんか?

『大江戸ものしり図鑑』では、曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』を挙げ、

和漢混淆文わかんこんこうぶんにところどころ挿絵が入った読み物が読本よみほんで、(曲亭馬琴の『八犬伝』や『椿説弓張月ちんせつゆみはりづき』、上田秋成の『雨月物語』や『春雨』などが代表作とされる。

当時は読本は教養人向けの娯楽小説であって、一般人向きの黄表紙や合巻ごうかんよりも高級。本としてのつくりも値段も上。

花咲一男(監修).『大江戸ものしり図鑑』. 主婦と生活社. pp.334-335.

と読本(よみほん)を説明した後、この絵について、女性が読んでいるのは「絵本太閤記(えほんたいこうき)」だと書いています。

読んでいるは岡田玉山著「絵本太閤記」。一般の人にはなかなか読めない読本を読むから理口者。ちなみに左上に描かれたのが当時の眼鏡。

花咲一男(監修).『大江戸ものしり図鑑』. 主婦と生活社. pp.334-335.
「教訓親の目鑑・理口者」 喜多川歌麿
「教訓親の目鑑・理口者」 喜多川歌麿

引用元:「教訓親の目鑑・理口者」

「教訓親の目鑑・理口者」 喜多川歌麿
「教訓親の目鑑・理口者」 喜多川歌麿

引用元:「教訓親の目鑑・理口者」

絵本太閤記(名古屋刀剣ワールド)
絵本太閤記(名古屋刀剣ワールド)

引用元:絵本太閤記(名古屋刀剣ワールド) Kyu3a CC-BY-SA-4.0

武内確斎(戯作者)と岡田玉山(挿絵師)が組んだ『絵本太閤記』(えほん たいこうき)は、寛政9年(1797年)に初編刊行。

豊臣秀吉の生涯を描いた講談をもとにしたというこの読本は大変な人気となり、享和2年(1802年)までに7編84冊が刊行されました。

岩下書店様のサイトによると、彼女が読んでいるのは「七篇巻三」とのこと。

お行儀的にどうかとは思いますが、この「りこうもの」さんは、実は教養ある女性ということのようです。

また、ちょっと読みづらい、絵のなかのことばを、岩下書店様の「本を読むひまがあったら針仕事でも覚えなさいって、そりゃ手厳しい!」ではわかりやすく書いてくださっています。

はじめに「巴女の武勇は女の勇にあらず」と源平合戦の女武者をあげて、「巴御前(ともえごぜん)はかっこいいけど、女のやることじゃないよね」とチクリ。

次に伊勢物語の筒井筒の和歌を引用。

「風ふかば沖津白波たつた山 夜半にや君がひとり越ゆらむ」

他の女のもとへ向かう恋人の道中をそれと知りながら嫉妬もせずに心配するという健気な女心。

独り琴を鳴らしながら詠む歌を物陰から聞いていたその男が心を打たれて浮気をやめる、という話です。

この貞女の鏡のような人にさえ、「小難しい和歌や琴なんか器用に出来ても、針仕事のひとつも出来なきゃしょうがない。この女一見賢そうに見えるけど、やり過ぎで嫌な感じ。」とか言っています。

どこまでもひねくれた歌麿さんです。

岩下書店「本を読むひまがあったら針仕事でも覚えなさいって、そりゃ手厳しい!

巴御前は、源義仲(1154 – 1184)の愛妾にして、武勇に秀でた女性として知られています。

かっこいいですよね。 私は大ファンです。

それを、「巴御前はかっこいいけど、女のやることじゃないよね」ですと?

さらに、「小難しい和歌や琴なんか器用に出来ても、針仕事のひとつも出来なきゃしょうがない。この女一見賢そうに見えるけど、やり過ぎで嫌な感じ。」って、なにそれ。

現代でこの言葉だけ聞くと、「女に教養なんて不要。家事能力だけ必要ってこと!?」となりそうですが、なんだか私には作者の「本心」からの言葉とは思えません。

だって、女性はこんなにも魅力的なんですもの。

美人の、ちょっとだらしないけどクスッと笑ってしまうような姿を、小言や苦言にかこつけて描いたんじゃね?と思えるのですが。

La sabelotodo, c. 1802-1803(ビルバオ美術館の解説より)

Wikipediaに載っている「理口者」(La sabelotodo, c. 1802-1803)を所有する、ビルバオ美術館(スペイン)による解説です。

ちなみに英語のタイトルは、「The Know-It-All, c. 1802-1803」、「知ったかぶり」。

Aunque Kitagawa Utamaro es uno de los artistas más valorados del grabado ukiyo-e, lo cierto es que no se conocen muchos datos sobre su biografía. Su época más gloriosa transcurrió en paralelo a los éxitos editoriales de su amigo y editor Tsutaya Juzaburo y, al parecer, tras la muerte de este en 1797, Utamaro sufrió una crisis acentuada por la soledad de su viudez. En esta última etapa artística se observa una menor vitalidad que en los trabajos anteriores, si bien también realizó series extraordinarias como Kyokun oya no me kagami, a la que pertenece esta estampa. El título de la serie se encuentra ubicado en un cartucho en forma de anteojos y contiene un amplio repertorio de recriminaciones moralistas que aconsejan cómo educar al género femenino. El subrayado machismo de la cultura nipona de la época, marcada por el neoconfucionismo y los modelos militares de la clase samurái, resulta en la actualidad un obstáculo para valorar esta serie, cuyo tratamiento gráfico, no obstante, es magistral.

La estampa nos presenta a una ociosa mujer casada de mediana edad que se entrega a la lectura de una novela. Se titula Rikōmono, esto es, una sabelotodo, en referencia a esta señora que pretende saber demasiado y que lee por diversión mientras desatiende sus obligaciones en la casa. El largo texto que explica este reprobable vicio indica que la mujer debe ser sincera y no provocar celos en el seno del matrimonio, desaprobándose el estudio, pues esta actividad conduce a no atender a los mayores y a abandonar la costura y demás tareas domésticas. La relajada actitud de la protagonista y los detalles de la vestimenta y el peinado son representados por el artista con su habitual delicadeza. El coleccionista José Palacio escribió a lápiz en el reverso de la estampa «de noche en espera de su esposo». Utamaro nos proporciona en la portada del libro el título de la novela que entretiene a la ociosa lectora. Se trata del tercer volumen del libro ilustrado Ehon Taikoki, escrito por Takeuchi Kakusai e ilustrado por Okada Gyokuzan, que terminó de publicarse en 1802. Esta crónica es una narración de la unificación de Japón lograda por Hideyoshi, tema de cierta polémica por la simpatía popular hacia este personaje, muerto en 1598, cuyo legítimo sucesor fue suplantado por Tokugawa Ieyasu, el primer shōgun de la familia Tokugawa, en el poder durante todo el periodo Edo hasta la Restauración imperial de 1868. El propio Utamaro fue condenado a prisión en 1804 por una parodia sobre Tokugawa Ieyasu. (David Almazán Tomás)

ビルバオ美術館La sabelotodo, c. 1802-1803

(Google翻訳:喜多川歌麿は浮世絵師として最も高く評価されている一人だが、その生涯についてはほとんど知られていない。彼の最も栄華を誇った時期は、友人であり版元でもあった蔦屋重三郎が出版で成功を収めた時期と重なり、1797年に重三郎が死去した後、歌麿は未亡人となった孤独も重なって苦境に陥ったようである。この後期の芸術的発展は初期の作品ほど精彩を欠いているが、この版画もその一つである
「狂君親の目鏡」など、傑出した連作も制作している。この連作の題名は眼鏡の形をしたカルトゥーシュの中に記されており、女性を教育するための助言など、さまざまな道徳的な非難が込められている。当時の日本文化の強引な男尊女卑、すなわち朱子学や武士階級の軍事的模型が特徴的で、現在ではこの連作の描写は見事であるが、その評価を阻んでいる。

この版画は、小説に没頭する怠惰な中年既婚女性を描いています。「知ったかぶり」を意味する「利巧者」という題名は、物知り顔で、家事をおろそかにして読書に耽るこの女性を指しています。この忌むべき悪徳を説明する長文は、女性は正直であり、夫婦間で嫉妬を招かないようにすべきであること、そして学問は目上の人をないがしろにし、裁縫などの家事を放棄することにつながるため、好ましくないことを示唆しています。主人公の落ち着いた物腰、服装や髪型の細部は、画家特有の繊細さで表現されています。コレクターのホセ・パラシオは、版画の裏に鉛筆で「夫を待つ夜」と記しています。歌麿は、この小説の題名を本の表紙に記しています。これは、1802年に完成した竹内覚斎作、岡田玉山絵による絵本『絵本太閤記』の第3巻です。この物語は、秀吉による天下統一を描いています。秀吉は1598年に亡くなり、その正当な後継者は徳川家の初代将軍、徳川家康に簒奪され、1868年の大政奉還まで江戸時代を統治しました。歌麿自身も1804年に徳川家康のパロディを書いたため投獄されました。(David Almazán Tomás))

「学問は目上の人をないがしろにし、裁縫などの家事を放棄することにつながるため、好ましくないことを示唆」と、この解説にもありますね。

「狂君親の目鏡」「竹内覚斎」など、スペイン語解説を「まんま」翻訳しているため、あれ?と思う箇所もあります。「夫を待つ夜」のくだりは、先の引用文にあった「伊勢物語の筒井筒」の貞女の話ですかね。

2019年の美術展『女・おんな・オンナ~浮世絵にみる女のくらし』

渋谷区立松濤美術館による『女・おんな・オンナ~浮世絵にみる女のくらし』のプレスリリース(182_ukiyo-e_press-release.pdf)内、「理口者」の横に、このような記述があります。

「江戸期を通じて女性向けの充実した啓蒙書が多数出版されました。道徳的教訓が説かれる本文のほかに、手紙の文例、家事や諸芸などの実用情報、故事・古典の教養が掲載され、女性の暮らしを助けるとともに知的欲求にも応えました。」

貰った恋文を読むのも、恋しい男性に恋文を書くにも手習いは必須。

相手の素養を見抜くにも、教養って大事なんじゃないかな、と思います。

ポンパドゥール侯爵夫人ジャンヌ=アントワネット・ポワソン( Jeanne-Antoinette Poisson, marquise de Pompadour, 1721年12月29日 – 1764年4月15日)

私のなかで、知的女性の代表ともいえるポンパドゥール夫人。

ポンパドゥール侯爵夫人(女侯爵)ジャンヌ=アントワネット・ポワソンは、平民(ブルジョワ階級)出身でありながら、その美貌と知性でルイ15世の公式寵姫となった女性です。

彼女のサロンには、ヴォルテールやディドロなどの啓蒙思想家や芸術家たちが集い、その結果18世紀のフランスには優雅なロココ文化が花開きました。

多くの貴族女性が本など読まない時代に、ポンパドゥール夫人は大変な読書家と知られ、彼女の蔵書は3525冊だったそうです。

自室の本がきちんと並べられていないのは、召使いが整頓をサボっているから?

いえ、夫人がこれらの愛読書をしょっちゅう読んでいるから、なのだそうです。

本を描かせることで、知性ある女性であることを演出する。実にうまいな、と。

『ポンパドゥール侯爵夫人』( Porträt der Madame Pompadour ) 1756年 フランソワ・ブーシェ アルテ・ピナコテーク蔵
『ポンパドゥール侯爵夫人』( Porträt der Madame Pompadour ) 1756年 フランソワ・ブーシェ アルテ・ピナコテーク蔵

引用元:『ポンパドゥール夫人』

アルテ・ピナコテークMadame de Pompadour, 1756

ポンパドゥール夫人の蔵書のジャンルは歴史、哲学、詩集と多岐にわたり、ラ・トゥールの絵でも背後に百科全書などの書物が「当然のように」描かれています。

『ポンパドゥール侯爵夫人全身像』( Portrait en pied de la marquise de Pompadour ) 1752年 - 1755年の間 モーリス=カンタン・ド・ラ・トゥール ルーヴル美術館蔵
『ポンパドゥール侯爵夫人全身像』( Portrait en pied de la marquise de Pompadour ) 1752年 – 1755年の間 モーリス=カンタン・ド・ラ・トゥール ルーヴル美術館蔵

引用元:ポンパドゥール夫人

ルーヴル美術館Portrait en pied de la marquise de Pompadour

『ポンパドゥール侯爵夫人』( Portrait of Jeanne-Antoinette Poisson, Marquise de Pompadour ) 1758年 フランソワ・ブーシェ ヴィクトリア&アルバート美術館蔵
『ポンパドゥール侯爵夫人』( Portrait of Jeanne-Antoinette Poisson, Marquise de Pompadour ) 1758年 フランソワ・ブーシェ ヴィクトリア&アルバート美術館蔵

引用元:『ポンパドゥール侯爵夫人の肖像』

ヴィクトリア&アルバート美術館Portrait of Madame de Pompadour

本を読まないひとのなかにあって際立つ知性と教養。

それに対し、寝ながら「絵本太閤記」のような男っぽい物語を気軽に読む、我が国の美女。

1750年代のポンパドゥール夫人と、歌麿の「理口者」が出た頃とではおよそ50年程の開きがありますが、私としては単純に「江戸の識字率、すごくない?」と思ってしまいました。

1770年代の江戸庶民の識字率

『面白いほどよくわかる江戸時代』によると、この頃江戸は「人口だけでなく識字率でもすでに世界一の都市だった」そうです。

武家の子弟は塾に通うなど、学問に親しんでいましたが、

 また、庶民の子供も寺子屋へ通わない者は稀だった。化政かせい期には、浪人や下級幕臣がアルバイトで師匠を務める寺子屋の数が、市中で1千ヵ所に達するほどだったという。

 こうした、‟小学校”では、「往来物おうらいもの(手紙文で一般常識などを解説したもの)を主な教科書とし、ほかに手習いや算盤そろばん、掛け算九九まで教えた。

山本博文(監修). 平成19年1月25日 第6刷発行. 『面白いほどよくわかる江戸時代』. 日本文芸社. p.149

学問に勤しむ生徒のうち、10人にひとりは私塾へ進学。

「こうした庶民の学力・教養が、江戸の出版文化の下地をかたちづくっていた」とあります。

庶民が書物に気軽に親しめている文化って素晴らしい。

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