天球儀に手を触れる『天文学者』(フェルメール作)解説

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17世紀オランダの天文学者の書斎には、天球儀、アストロラ―ベ、星座早見表などが置かれています。

『天文学者』( L’Astronome ) 1668年 ヨハネス・フェルメール ルーヴル美術館蔵
『天文学者』( L’Astronome ) 1668年 ヨハネス・フェルメール ルーヴル美術館蔵

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目次

『天文学者』( L’Astronome ) 1668年 ヨハネス・フェルメール

『天文学者』( L’Astronome ) 1668年 ヨハネス・フェルメール ルーヴル美術館蔵
『天文学者』 50 cm×45 cm 1668年 ヨハネス・フェルメール ルーヴル美術館蔵

引用元:『天文学者』

ルーヴル美術館公式サイト(お出掛け前には最新状況をご確認ください)

『天文学者』( L’Astronome )/ 展示場所:ルーヴル・アブダビ

窓から差し込む冬の光。

天球儀に、タペストリーに、真珠の粒のような「白い斑点」が置かれています。

何かを確認するように天球儀に手を触れる男性が着ているのはヤポンス・ロック、袢纏(はんてん)や丹前(たんぜん)などの日本風の上着です。

ガウンのような室内着ヤポンス・ロックは、当時の上流階級層や知識人たちに非常に好まれ流行しました。

17世紀初頭の1602年、世界初の株式会社であるオランダ東インド会社が設立され、アジアとの交易に乗り出します。

オランダは鎖国政策を取る日本にもやってきました。

日本は欧州諸国の中で唯一オランダとの外交関係を保ちます。

出島を通して欧州の文化や学問が日本に流入し、日本からの品々が西洋に向けて輸出されて行きました。

天球儀

『天文学者』( L’Astronome ) 1668年 ヨハネス・フェルメール ルーヴル美術館蔵
『天文学者』 ルーヴル美術館蔵

この天球儀は、フランドル生まれの地図製作者ヨドクス・ホンディウス( Judocus Hondius, 1563年-1612年)のものといわれ、『マンガでわかるルーヴル美術館の見かた』によると、天球儀には天秤座、竜座、蛇座などの星座が「正確に精緻に」描かれているそうです。

天球儀の後ろに掛かる時計のようなものは星座の早見表です。

ヨドクス・ホンディウスの天球儀 1613年 ガリレオ博物館蔵
ヨドクス・ホンディウスの天球儀 1613年 ガリレオ博物館蔵

引用元:ヨドクス・ホンディウスの天球儀  Sailko  CC-BY-SA-3.0

右の人物がヨドクス・ホンディウス。左はゲラルドゥス・メルカトル(1610年頃、Coletta Hondius作)
右の人物がヨドクス・ホンディウス。左はゲラルドゥス・メルカトル(1610年頃、Coletta Hondius作)

引用元:ヨドクス・ホンディウスとゲラルドゥス・メルカトル

地理学者ゲラルドゥス・メルカトル( Gerardus Mercator, 1512年-1594年)はメルカトル図法で有名です。

机の上の本と壁の絵

机の上にある本は、地理学者であり天文学者でもあったアドリアーンスゾーン・メチウス( アドリアーン・アドリアーンスゾーン・メチウス、Adriaan Adriaanszoon,Metius, 1571年-1635年)の著書。

アドリアーンスゾーン・メチウスの肖像 17世紀 画家不詳 マルテナ美術館蔵
アドリアーンスゾーン・メチウスの肖像 17世紀 画家不詳 マルテナ美術館蔵

引用元:アドリアーンスゾーン・メチウスの肖像

『天文学者』( L’Astronome ) 1668年 ヨハネス・フェルメール ルーヴル美術館蔵
『天文学者』 ルーヴル美術館蔵

 机の上には、天文学者アドリアーンスゾーン・メチウスの本があり、開いているページには、モーセが星の運行の知識に通じていたと記されています。天文学者は、「神からのお導きで」真実を追究するという人物に仕立てられており、背後に見える画中画「モーセの発見」のテーマとも呼応しています。

有地京子(著). 2019-12-13. 『マンガでわかるルーヴル美術館の見かた』. 誠文堂新光社, p134.

メチウスの『天文学・地理学案内書』には、旧約聖書の予言者モーセは天や星の知識に通じていたと書かれています。

このことは当時の天文学が宗教的な世界観と密接に関わっていたことを表しています。

『天文学者』( L’Astronome ) 1668年 ヨハネス・フェルメール ルーヴル美術館蔵
『天文学者』 ルーヴル美術館蔵

ちょっと見づらいですが、『天文学者』の壁に掛かる絵画は『手紙を書く女と召使い』の中で描かれているものと同じものです。

『手紙を書く女と召使い』 1670年頃 ヨハネス・フェルメール アイルランド国立美術館蔵

『手紙を書く女と召使い』 1670年頃 ヨハネス・フェルメール アイルランド国立美術館蔵
『手紙を書く女と召使い』 1670年頃 ヨハネス・フェルメール アイルランド国立美術館蔵

引用元:『手紙を書く女と召使い』

『手紙を書く女と召使い』 アイルランド国立美術館蔵
『手紙を書く女と召使い』 アイルランド国立美術館蔵

当時のオランダではどこの家にも絵が飾られていました。

ここで飾られている絵は、旧約聖書『出エジプト記』の中の『モーセの発見』の場面。

エジプトのファラオが「ヘブライ人の男子の新生児を殺せ」という命令を下します。

モーセの母親は赤子のモーセを籠に入れ、ナイル川の葦の繁みに隠しました。

そこへ水浴にやってきたファラオの娘が籠の中のモーセに気付き、彼を育てることにします。

連れてこられた乳母は、物陰から見守っていたモーセの母親でした。

『手紙を書く女と召使い』の室内に『モーセの発見』が掛けられているのは、敵対する者同士の争いを鎮(しず)めるという説話から、「融和(ゆうわ)」を示しているといわれます。

絵画や床に落ちている手紙などの小道具などから、女性が手紙を書いている相手は仲違いした恋人ではないかという推測ができます。

『マンガでわかるルーヴル美術館の見かた』では『モーセの発見』は、アスファルトで防水された籠のおかげで赤子のモーセが救出されるという、「知識と技術の象徴として描かれている」とあります。

アストロラーベ

海運を背景に交易で栄えた17世紀のオランダには、世界中から様々な物品が集まった。そして本作の中で天文学者の男性が手を置く天球儀の下には、1台のアストロラーベが置かれている。中世の天文学者を表すモチーフとして、この器具がいかに重要だったかを伝える作品である。

『男の隠れ家』. 2015.4.

アストロラーベは古代から伝わる天体観測用機器で、地球儀、羅針盤、地図などの役割を一台でこなす道具です。

サハリアス・ヤンセン( Zacharias Jansen )によって作成された、またはヤンセンに帰属するアストロラーベ 直系6.5cm 1636年頃 アムステルダム国立美術館蔵
サハリアス・ヤンセン( Zacharias Jansen )によって作成された、またはヤンセンに帰属するアストロラーベ 直系6.5cm 1636年頃 アムステルダム国立美術館蔵

引用元:アストロラーベ CC-Zero

小さなものから大きなものまで、サイズは色々のようです。

下の絵画はロンドンのナショナル・ギャラリーの収蔵品ですが、左のテーブルにはアストロラーベやコンパス、天球儀が置かれています。

" Cognoscenti in a Room hung with Pictures " 1620年頃 画家不詳 ナショナル・ギャラリー蔵
” Cognoscenti in a Room hung with Pictures “ 1620年頃 画家不詳 ナショナル・ギャラリー蔵

引用元:” Cognoscenti in a Room hung with Pictures “

ナショナル・ギャラリーの解説はこちらです。( Description を押すと解説文が出ます)

" Cognoscenti in a Room hung with Pictures " ナショナル・ギャラリー蔵
” Cognoscenti in a Room hung with Pictures “ ナショナル・ギャラリー蔵

引用元:” Cognoscenti in a Room hung with Pictures “ Ad Meskens CC-BY-SA-4.0

『天文学者』( L’Astronome ) 1668年 ヨハネス・フェルメール ルーヴル美術館蔵
『天文学者』 ルーヴル美術館蔵

当時はまだ大きなガラスを作る技術はありませんでした。

そのため、ガラスを鉛でつないで「窓」にしていました。

『手紙を書く女と召使い』の窓も美しいですね。

タペストリー

『天文学者』( L’Astronome ) 1668年 ヨハネス・フェルメール ルーヴル美術館蔵
『天文学者』 ルーヴル美術館蔵

流麗な筆致で描かれた植物文様の厚手のタペストリー。

白い斑点が粒のように描き込まれていますね。

『フェルメールの世界 17世紀オランダ風俗画家の軌跡』では、フェルメールのタペストリーに関する技法について、1660年代に入り、フェルメールは「各モティーフの質感を顔料を重ねて追求する描法から筆跡を極力残さない滑らかな描法へと転換していった」とあります。

1660年代の終わり頃、タペストリーの描法はまた変化します。

同じルーヴル美術館にある『レースを編む女』(1669年-1671年頃)、前出の『手紙を書く女と召使い』(1670年頃)が本書内で例として挙げられています。

ぜひ実物を間近でガン見じっくり観て確かめてみたいものですね。できなくて残念。

しかし、いつの日か実物を観る機会に恵まれた暁には、仕入れておいたこのような情報をフル活用し、その場にいる誰よりも「わかって」観てみたいですよね。

展示場所

展示風景
展示風景

引用元:展示風景  Britchi Mirela  CC-BY-SA-3.0

美術館の解説欄には、アラブ首長国連邦、アブダビのルーヴル美術館別館に展示されているとあります。(2022年4月)

お出かけの際には展示状況などをご確認くださいませ。

『レースを編む女』( La Dentellière ) 1669年-1671年頃 ヨハネス・フェルメール ルーヴル美術館蔵

『レースを編む女』( La Dentellière ) 1669年-1671年頃 ヨハネス・フェルメール ルーヴル美術館蔵
『レースを編む女』 23.9 cm×20.5 cm 1669年-1671年頃 ヨハネス・フェルメール ルーヴル美術館蔵

引用元:『レースを編む女』

ルーヴル美術館公式サイト(お出掛け前には最新状況をご確認ください)

『レースを編む女』( La Dentellière ) / 展示場所:リシュリュー翼、837展示室

『フェルメールの食卓 暮らしとレシピ』

画集としてもイラスト集としても楽しめます。フェルメールの生きた時代の生活道具紹介やタウンガイド、何よりもレシピとして目が楽しい。買って損はしない一冊です。

『地理学者』

『地理学者』( The Geographer ) 1669年 ヨハネス・フェルメール シュテーデル美術館蔵

『地理学者』( The Geographer ) 51.6 cm×45.4 cm 1669年 ヨハネス・フェルメール シュテーデル美術館蔵
『地理学者』 51.6 cm×45.4 cm 1669年 ヨハネス・フェルメール シュテーデル美術館蔵

引用元:『地理学者』

シュテーデル美術館の解説はこちらです。

『天文学者』と対であるとされる『地理学者』。

女性が多いフェルメールの絵画には男性の単身像は珍しく、『天文学者』と『地理学者』だけです。

『天文学者』にはサインの他1668年、『地理学者』には1669年と、年記も入れられています(『天文学者』の場合は天球儀に触れている手の右)。

地理学者の男性は手にコンパスを持ち、天文学者同様ヤポンス・ロックを着ています。

手前にはタペストリー、背後に掛かるのは地図。

『天文学者』に比べて明るい室内です。

ヤポンス・ロックの生地の表面やタペストリーに、つい、あの光の斑点を探してしまいますね。

絵の依頼主は?学者たちのモデルは?

17世紀のオランダ絵画では、学者の肖像は好まれたテーマでした。

 17世紀において天文学と地理学は密接な関係にあり、この絵をフェルメールに依頼した人物は、自然科学に精通した学者だったのではと推察される。しかし、モデルの存在には諸説あり、オランダの哲学者・スピノザやフェルメール自身とする説もある。

『大人が観たい美術展 2015』. p.13.

天文学者や地理学者のモデルとなったのは誰なのか、諸説ありますが、その一人がオランダの科学者、アントニ・ファン・レーウェンフック( Antonie van Leeuwenhoek, 1632年-1723年)です。

レーウェンフックはフェルメールと交流がありました。

「微生物学の父」アントニ・ファン・レーウェンフック 1680年頃 Jan Verkolje画 アムステルダム国立美術館蔵
「微生物学の父」アントニ・ファン・レーウェンフック 1680年頃 Jan Verkolje画 アムステルダム国立美術館蔵

引用元:アントニ・ファン・レーウェンフック

フェルメールが天球儀やアストロラーベのような機器を持っていたという記録は残っておらず、絵の中に描かれたものはこのレーウェンフックからの借り物である可能性があり、それが「絵の依頼主はレーウェンフック」説のもとになっているとのことです。

では、『天文学者』『地理学者』のモデルとなった人物は?

朽木ゆり子氏は著書『フェルメール 全点踏破の旅』の中で、学者たちは誰かの肖像画というよりは、「トロ―二―」的な作品ではないかと仰っています。

「トロ―二―(トロ二―、Tronie、頭部)」とは、歴史画などの大作のための「キャラクター研究のようなもの」。

『真珠の耳飾りの少女』もこのトロ―二―で、特定の人物の肖像画ではないといわれています。

『真珠の耳飾りの少女』 1665年頃 ヨハネス・フェルメール マウリッツハイス美術館蔵
『真珠の耳飾りの少女』 1665年頃 ヨハネス・フェルメール マウリッツハイス美術館蔵

引用元:『真珠の耳飾りの少女』

1982年にルーヴル入り

1881年、『天文学者』はアルフォンス・ド・ロートシルトに購入され、息子のエドアールが相続します。

しかし、1940年、ナチスは他の作品と共に『天文学者』を押収。

ヒトラーがリンツに作っていた美術館用にドイツに送られます。

その後オーストリアに移されて隠されていましたが、終戦後まもなくアメリカ軍によって発見され、絵はロートシルト家に返還されました。

ルーヴル美術館には1982年に寄贈されています。

現在はルーヴル美術館の別館(アブダビ)に展示されています。(2022年4月)

主な参考文献
  • 有地京子(著). 2019-12-13. 『マンガでわかるルーヴル美術館の見かた』. 誠文堂新光社.
  • 朽木ゆり子(著). 2007-10-29. 『フェルメール 全点踏破の旅』. 集英社新書.
  • 小林賴子(著). H30-10-25. 『フェルメール 作品と生涯』. 角川ソフィア文庫.
  • 小林頼子(著). 2004-2-10. 『フェルメールの世界 17世紀オランダ風俗画家の軌跡』. NHKブックス.
  • 林綾野(著). 2011-7-15. 『フェルメールの食卓 暮らしとレシピ』. 講談社.
  • 『男の隠れ家』. 2015.4.
  • 『大人が観たい美術展2015』. 男の隠れ家特別編集 時空旅人別冊.
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